山田守の住宅展_没後50周年

建築家・山田守さんの住宅を見学しました。

場所は、渋谷や靑山からすぐの場所にあり、建物よりもその場所に存在し続け居ていることにに驚きました。

山田守さんは大きな建築を主として設計していた建築家なので、それほど自分の仕事には参考人ならないかもしれないと思いながら行ったのでした。

その家は、想像していたのとは違い、繊細な和風デザインで仕上げられていました。金属と木を上手に組み合わせて細く軽く見えるように考えられていました。

キッチンの造り込みも素晴らしく、奥様への愛情が伝わってくる台所でした。

築後50年以上経過しているので、それなりの傷みはありましたが、よく考えられた家はずっと住み続けられるものですね。(現在もご家族の方が住み続けられて使われています)

下記は、山田守さんのことばです。

この言葉が心に残りました。

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作者の言葉

気安さはバラック住い韮の花  まもる

 自分はどうゆうものか自分の家を造る気にはなれなかった。60才を越えて自分の家を造らない仲間に堀口捨巳・吉田鉄郎両兄がいた。

 私は両氏を尊敬していた。それが先年堀口兄が立派な自宅を造って紙上に発表した。誠に被害甚大であった。吉田兄は借家のままに病死した、誠に悼ましい限りであった。

 4年住みなれた高城町の古箱番改造のバラックを撤去せねばならぬことになり、そのバラックを再度移築して住み度いと思ったが、一度本当の家に住み度いと云う老妻の希望もあり、65才にして初めて止むを得ず本当の家を建てることになった。

 私の家は単に憩いの家ではなく、1階・3階は働くための場所であり2階が普通の家族住宅である。

 都内に木造平家住宅を建てる事は都市計画上保安の点に就て自他の迷惑になり、また都市の立体化にも反することになる。都内に住宅を持つ事は必ずしもよくないが、ここは住宅専用地域であって都心に関係の多い仕事を持った人が住む所ではある。不燃化立体化と美しい環境を造ることに協力する様な家を造って置けば、将来も何か利用されるであろう。  

『国際建築』1959年12月号より

外から見ると、このように見えます。靑山でこんなに緑があるのは驚異的でかなり贅沢です。

1階にはコーヒー店があります。店主が山田守さんの建築が好きな方だそうです。

住宅が住宅だけではなく、事務所になったり、店舗になっても活用出来る造りが長期間使用出来る家のポイントでもあります。(変化に対応出来る家)

リノベーションのヨシ

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